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お盆に四国を青春18切符で回っていた僕は、最終日16日の朝7時に高知を出て、そのまま名古屋に帰るつもりだったが、神戸あたりを過ぎるころ京都の友人に連絡し、少しでも会えないだろうかとメールを打つと他に予定があるとのことだったので、そのまま米原まで新快速を降りることもないはずだったのだけれど、「京都、京都です。」という女性的機械アナウンスが流れると、半分眠っていた僕は荷物棚に乗せていたバックパックを肩に掛け「危ない危ない、乗り過ごすところだった」感を出しながらホームに降りた。
降りてしまっていた、と言う方がしっくり来るかもしれない。


特に行きたい場所なんて無かったけれど、朝からクリームパンとおビスコしか食べてなかったから、まずは空腹を満たすために何か食べようと思った。近くの新福菜館か第一旭でちゃちゃっと食べるか、好きだった喫茶店に寄ってみようか、それとも一乗寺まで行こうかな。3日前に別の友人が哲学の道歩きすがら法然院に寄ったという話も頭のどこかにあって、久しぶりに歩いてみたいな、とも思った。近くに「ますたに」もあるからラーメンも食べられる。でもラーメンなら千本鞍馬口の「太七」も一回行ってみたかったんだよな云々。


改札を出て京都タワーを見ると頭の中にピアノのイントロが流れてきた。次いで歌詞がよぎった。

206番来たからとりあえず後ろに座った…
くるり「京都の大学生」

学生時代は自転車を駆使して市内を駆け回っていたから市バスを利用する機会はあまりなかったけど、たまに利用していたのは205番とか51番とか、そのへんしか覚えていない。
どこ行きかしらないけど206番が京都駅から出てたらそれに乗って、どこか適当なところに行ってみようかな…うん、それもいいかもしれない。どうせ目的も当てもない旅なのだ。よし、そうしよう。

バス停に行くと、206番は京都駅発で東山を経由して京大前を通るとのことだった。
京都大学。
乗換えの時間の余裕が少しあった岡山駅で本屋により、以前これまた別の友人に勧められた「鴨川ホルモー」を買って読んでいた。舞台は京都、主役は京大のとあるサークルの部員。
これはもう、206番に乗れと言われているような気がしてならない。
いや、そうじゃないな。
全てが起こった後結果的に見て「206番に乗れと言われてる」状況だったな、とは思うけど、
その時は目の前にポンポンと→を出されている感じ。わかったよ、ついて行くよ、といった具合に。
吉田神社や吉田山や吉田寮を見に行こうとは思わなかったけど、いいタイミングで206番が来たからとりあえず後ろに座った。
百万遍で降りたら東に歩いて行って「ますたに」食べて哲学の道を歩こう。この4日散々歩いたけれど、いいじゃないか。たまには哲学してみよう。そのためだけの道ではないにせよ、俺は今哲学がしたいんだ、いや本当はどっちでもいいんだ、ただ一人で歩きたいんだ云々。

でも、その時の僕は一体何を考えていたのだろう。

高松の駅前で泊まる場所も無い僕は(何せネットカフェが無い)一人のバックパッカーに声をかけ、そのこが名古屋の建材屋で働いていてワンゲル出身でUKロックが大好きだということが分かると二人で朝まで喋っていた。主に音楽のこと。ミニストップの前。朝焼け。祭りの翌朝のゴミで散れた国道。

そうか、名古屋のこと会うというのも偶然と言えば偶然か。

直島。岡山。本屋。鴨川。京都大学。206番。ラーメン。哲学の道。

この4日で起こった小さな偶然を頭の中で紡いだり解いたり。


だから、というわけではないが、
学生時代の友人が家族と共にこちらに歩いてくるのを遠目に確認してもさして驚かなかった。
もちろん、驚いた。
但し、あくまでクールに。
誰かが「ほらな」と言った気がした。
なるほどな。
確かにすごく不思議で奇跡的な出来事なんだけど、妙に納得させられてしまったのだ。
友人は今千葉の実家に住んでいて、盆休みに両親と京都に遊びにきたそうだが、彼が京都に行くことなんて知らなかったし、僕も自分が高知からの帰りに京都に寄るつもりもなかった。駅を降りた時点で地下鉄乗り場に足を運んでいたかもしれないし、高知を始発で出ていたらもう2時間は早く着いていたし、岡山で鴨川ホルモーを買わなければ京都で降りようとも思わなかったかもしれない。まだまだ数えきれない場面がレイヤーとして重なって重なって夏の百万遍で僕は彼に会った。彼には彼の積み上げてきたレイヤーがそれこそ無数にあるはずだ。簡単に言い除けてしまうのは簡単だろう。
「すべては偶然である」と。

すべては偶然なのか?




友人一家と別れ哲学の道を歩いているとき、ついさっき起こったあの邂逅の意味を考えていた。
それが僕にもたらしたものは何だったのだろう。
本当にすべては偶然なのか?
体の大きい白人が公衆電話のハコの中で窮屈そうに電話をしている。
その横でガールフレンドらしき金髪女が鴨を写真に収めようとしている。
ゆっくりと歩く僕の横を人々が人々と話をしながら通り過ぎて行く。
話し声や踏まれて折れる小枝や法然院の鐘の音。ヒグラシの無く声。
NHK-FMの「音の風景」みたいだ。
でも僕はつい今しがた起こった邂逅に雁字搦めに捉えられている。
偶然とは何ぞや。運命とは何ぞや。奇跡とは何ぞや。生きるって何ぞや。





哲学の道を南に抜け、細い道をしばらく歩くと南北へ伸びる大きな道路が出てきた。
ここを北へあがれば東西を突き抜ける車道に出るだろう。車の往来が目に入る。
バス停もきっとあるだろう。
でも、目の前の少し細い道に惹かれる。
もう少し歩いてみようかな。
本当にそんな軽い気持ちで僕は北へ折れず真っすぐ西へ歩いた。
すると見覚えのあるトラックが目に入った。

そのトラックは僕が大学2回の12月に引っ越しをした時お世話になった赤帽さんだった。
よく話をしてくれる人だった。人懐っこい笑顔と聞き取りづらいかすれた声。
年末に一軒九州までの引っ越しがあるから、それを手伝ってくれたら福岡まで無料で乗せて行ってやる。ええーまじっすかー。昼飯もおごっちゃる。ぜひ行かせてください。
そんなこんなで図らずも半日近く半径1メートル内で話をしたおっちゃん(自称:赤帽の寅さん)を見間違えるわけが無い。

「○○さんですよね。」
「ごめん、だれやったかいな?何かみたことあるな。」
「あの、3,4年前に引っ越しを手伝って九州までただ乗りさせてもらった者です。」
「あ~あの時の!」
「赤帽の寅さんでしょ。」
「こりゃまいったな。」

赤帽の寅さんと懐かしくはあるが他愛も無い話を終え、僕はバス停へ行く。
市バス(何番だったかな)は平安神宮前を過ぎ、三条京阪へ。久方ぶりの鴨川とご対面。
三条辺りの河原は相変わらず人が多い。
北へ歩く。まだまだ人は多い。
そうか。
今日はお盆最終日。16日。五山の送り火の日か。
皆東大文字が暗闇にぽつんと浮かぶのを今か今かと待ちわびているのだ。
20時に火がつくから、それを見ると今日中に名古屋に帰れなくなってしまう。鈍行では。
新幹線の切符を買うなぞ財布の紐が許すはずも無いし、なんだかこのまま鴨川沿いに一人たたずんでいるのが耐えきれなくなってきた。
少し寂しくなってしまった。
なぜだかはよくわからないけれど。

でも、今なら分かる。
なぜだかよくわかないけど少し寂しくなるなんて大方の人間にはよく起こることなのだ。






再び、邂逅について




あれは一体何だったのだろう。
偶然?
それとも、やはり神様はいて我々には見ること能わない偉大な手でもって僕や僕の知ってる人をひょいっと持ち上げてポンと配置するのだろうか。チェスのように将棋のように。

少し想像してみる。

ふむふむ。
神様はやはり靴を履かれていない。白い布切れのような服をお召しになっており、彫りの深い顔の上には豊かな白髪を伸ばし放題にされている。ギリシャ神話の中の神様みたいだ。
こっちを見てウィンクする。
「ほらな」
近畿地方独特のイントネーションで仰せられる。

まるでホットペーパーのCMじゃないか。
嘆くべきは己の想像力の浅き泉かな。
やれやれだぜ。
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