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arashiyama


ここ数日の春らしさ満開の陽気のせいで出不精な僕もついに(とか言ってるそばからこの記事昼の2時に家でパソコンに向かって書いてんだけど)嵐山に久しぶりに行ってみた。


嵐山 あ~嵐山 嵐山


嵐山は朝に行くに限る。それも夏。

5時とか6時とか。最高に気持ちいい。

日中は観光客だらけの名所もさすがに日の出直後にはほとんど人がいないから。

もう夏のそんな早い時間に行くこともないだろうけどね。


その日は、ってか一昨日のことだけど、

3時くらいに行ってきた。

ここはシーズンもくそも関係なく年がら年中人が多い。

でもまぁ別にいいかな。

人がいてもいなくても。

桂川にそってちょっと北上していけばその人の数も減る。

だからその辺で座って本を読んでいた。

もうすっかり川沿いで本を読んでも寒くない季節になったのだ・・・

とか思ってたら太陽が山に隠れて日陰になるとやっぱりちょっと冷える。

だからちょっと南下して渡月橋を西へ渡り、まだ日向のベンチに座って読書の続き。

借りたてのWild Winter。

たった今全部読みおわって、

あまりに面白くて素敵でかっこよすぎるので絶対に買おうと思いました。




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この質問あんまり好きじゃないんだよね。よくされてるけど。

まずこれ質問として成り立っているのだろうか?

「世界」って一体なんだろう。


こういう質問がなされる場合って、「世界」=「絶えず戦争が起こり続けている惑星単位の地球(世界)」としての意味合いがほとんどだと思うんだけど、

たとえば「自分の世界」なんて言い方もある訳で。

つまり一人一人誰彼それぞれ自分なりの「世界」ってもんを持っているんだから(持っていたいね)、この質問には「音楽は人を、その人の世界を変えることができるか?」という意味も包含することになる。

それなら誰もがYESって迷うことなく答えると思う。

こういう質問をされて困る人がたくさんいるってのは「イマジンが戦争を止めさせたのだろうか」なんて考えてしまうからなんじゃないかな。おそらく。

なんでこんなことで悩まなくちゃいけないのかって思うのよね。

でさ、変に悲観されても嫌なわけさ。

「結局ジョン・レノンですら世界を変えることができなかった」なんてね。聞いててあんまりいい気持ちはしないね。


「自分の世界」とはニアリーイコール価値観、世界観とも言えると思うんだけど、

それまでの人生で少しずつだか特定の集中した期間で一気にだか知らないけどそんな具合に作り上げてきたやつをさ、一瞬でバンッって変えちゃうこともあるんやから音楽ってやっぱりすごいな、とかベタに思っちゃうけどね。

もちろんそれだけじゃなくて、その時の個人の状況・心情とか付加要素はあるにせよ、転換を迫られるわけだ。他人が作った曲とか言葉なんかで。

いや、迫るという高圧的な態度でもないだろうけど。

静かに、たとえばスパイが味方の部屋のドアの隙間に伝言を書いた一枚の紙を投げ入れるようにそっと流れ込んでくるときもあるし、電気うなぎ触った時みたいにビビビってくることもある。電気うなぎなんか見たこともないけど。

でもとにかく、こういう質問とか全部どうでもよくなるくらいに音楽って地球みたいに素晴らしい。



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この不規則な文字の羅列。左から5番目を選んで縦に読んでみてください。何もないです。暇だったんです。本当は引越しの準備とか色々しなくちゃいけないのに、もてあましてるんです時間を。
高速タイピングじゃーとかなんとか言ってつまらないことやっちゃったんです。そんな日記書いちゃったんです。腹減ったぁ。プラス眠くないってこれ以上危険な夜はないね。ペヤング買いにいったろ。食べたことないのよアレ。




3月が始まった。

あと6時間もすれば大家さんが家賃を回収しに来て部屋のドアを叩くだろう。

呼び鈴を押せばいいものを、毎回ドアをどんどん叩く。

しかも朝早い。大抵7時ころにはやってくる。

何回もその音で睡眠を妨げられ、2度寝の苦手な僕にとっては毎回月の初めは憂鬱だった。

それももう、最後になる。



2月最後の京都は3月中旬並みの暖かさで、かすかだけど春の予感が漂っていた。

「京都いるうちに色々回ってた方がいいよ。」

去年から横浜で働く友達はそう言った。

彼が言う「色々」とは寺社仏閣等、すなわち観光名所のことを指す。

残された時間を有効に使うためにはそれもいいかもしれない。

でも、僕が京都で好きな場所といったら、そういう場所ではない。

それは鴨川であり、喫茶店であり、インド・ネパール料理屋であって、およそ全国津々浦々から足を伸ばして観光客が目指すような場所ではない。

だからなるべくいつもどおり過ごそうと思う。

今までと同じような毎日を「いつもどおり過ごすのだ」と意識するのは何か変な感じだし、少し寂しい気もする。

寂しいというか虚しいというか。

特にセンチメンタルに浸りたいわけではないけど、どうも季節や時間といった我々にはどうしようもないものが、無理矢理にでもそちらへと引っ張っていく。

それに従う術しか、少なくとも今の僕は持ち合わせていない。



2週間の旅行から帰ると、下宿の近くのコンビニに営業は2月いっぱいまでと張り紙が張られていた。

コンビニというのは便利ではあるけれどあまり好きじゃない。

日本全国何処に行っても街中にはコンビニがあり、郊外にはジャスコがあるという風景に危機感すら覚える。

それでも、やはり24時間営業という利便性のよさから、例えば公共料金の支払いや、深夜に腹がすいたときなど利用することはあった。

それもなくなってしまうらしい。

2月29日の真夜中の1時、商品棚は半分だけになり、片づけが進められていた。

深夜に行くといつもいるアルバイトらしき店員は全体的にぽっちゃりしていて、髪の毛は坊主が少し伸びたような黒髪で、眉毛も手入れしているとは思えないほど太く、おまけに頬はいつも少し赤らんでいる。

一昔前の日本映画で、いかにも田舎(それも北の雪国)から上京してきたさえない大学生といった感じで、なんとなく深夜のコンビニという少しアウトローな世界観を柔和にしてくれる風体であった。

そんな彼はもう次のバイトでも探したのかな、などと彼にとっては大きなお世話だろうがそんなことを考えながらUFOとコーラとクランキーを買った。

そうしてそれまで意識もせずに勝手に日常だと思い込んでいた風景が一つ消えた。

その辺の突発さは相変わらずらしい。



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